バスケット人生最高の1日を決めるなら、
会心の勝利と笑顔で終わった1日ではなく
涙、涙で終わった引退の日を選ぶ。
高校生の私は「京都府2位」を目標に努力していた。
中学時代のセンターからガードへのコンバート。
1学年4−50人の部員数。
熾烈なレギュラー争いに勝つ為に相応の努力が求められた。
高校2年生、夏の新チーム結成時は
出場時間がほとんどない状況からスタートした。
半年後の新人戦で初めてプレイタイムを得る事ができ、
高3のインターハイ予選ではシックスマンとして出場時間も大幅に増えた。
チームは、インターハイ京都府予選 準優勝
近畿大会ベスト8という結果を残し、涙を流さず引退した。
チームとしても、個人的にも努力が実った大満足の高校時代であった。
涙、涙で終わった後悔の中学時代とは全く逆であった。
それから時が経ち、多くの選手の想いが
ファインダー越しに伝わる中で、ある疑念が生じてきた。
「 自分の高校時代の結果に価値はあったのか? 」
前述の通り、「 京都府2位 」を目標にした。
チーム事情が違うので、誰もが優勝を目標にできるわけでは無いが、
2位を目指すのなら、なぜ、1位を目指さなかったのか?
洛南を倒すための努力はしなかった。
チームで一番の努力もしなかった。
私の努力は京都府2位を目指すチーム内で試合に出る為の努力でしかなかった。
京都で一番努力したと言い切れる中学時代とは大きな違いであった。
この頃から、今まで試合の結果で
『 後悔の中学時代 』 と
『 大満足の高校時代 』に
別れていた自分自身のバスケット人生感が
大きく変化した。
大満足の高校時代。
京都府予選準決勝は残り20秒同点相手ボールからの3点差勝ち。
近畿大会初戦は敗色濃厚から奇跡のスリーが決まり延長戦を制した。
どちらの試合も1本のシュートで全てが決まった。
もし、結果でバスケ人生の価値が決まるのなら、
その1本のシュートが外れていたら、
後悔のバスケ人生になっていたのか?
答えはNoだ。
自分が夢中になったバスケット。
どんなにしんどい練習でも頑張ったバスケット。
先が見えない暗闇の中、もがき続けた日々。
出場のチャンスに怪我を隠して出場した練習試合。
体育館で黙々と打ったシュートの数。
家に帰ってからした筋トレ。
もうバスケを辞めようかと悩んだ日。
それら全てひっくるめてバスケット人生の価値が決まるのではないか。
自分の全てを注ぎ込んだと言っても過言ではないバスケット。
それがたった1試合、しいては1本のシュートで
その価値を測れる訳が無い。
だからバスケット人生最高の1日は
一番努力をし続けた先の引退の日を選ぶ。
私の場合、京都で一番努力すれば一番になれると信じて、
精一杯努力した中学時代の引退した1日になるが
多くの選手にとっては高校引退の日になるのではないか。
(精神的にも練習量的にも高校の方が厳しかったので
トータルでは高校生活が今の糧になっていると思うが、
「1日」に絞ればやはり中学時代を選ぶ)
令和元年度インターハイ京都府予選は
5月12日でベスト8が出揃った。
京都でバスケをする多くの3年生は引退となった。
まだ結果を受け入れられない選手、
涙で終わった選手、ロッカールームでひっそりと泣いた選手、
家に帰ってから涙が溢れた選手。
様々な想いがあったと思うが、
私の恩師の言葉をおくりたい。
『 涙で終われるのは素晴らしい事。 』
時にはふざけ合いながら、共に切磋琢磨したチームメイト、
深い情熱を持って指導してくださった恩師の存在、
そして、様々な困難や問題に直面し、それを乗り越えようとしてきた自分自身の経験。
現役時代、勝利するために必死に努力したが、
バスケット人生を通じて得たそれらの宝物全てに
試合の結果は一切関係なかった。
中学の試合のビデオを3年以上観る気にならなかった私でも
今は『 最高の中学バスケ人生 』と思っている。
選手の皆さんは、今すぐにはそんな気持ちにはならないと思うが、
いつか自分が歩んできた素晴らしいバスケット人生を誇りに思って欲しい。
令和元年度5月15日 ダブルオーバータイムの興奮覚めやらぬ夜に。