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冬の日の1995

鳥羽高校女子バスケットボール部が1995年以来のウインターカップ出場を決めました。


あの時以来か…

と懐かしく感じております。


何を隠そう、私が高校3年生だったのが1995年です。


ウインター出場を決めた現場にはおりませんでしたが、

インターハイ出場を決めた会場にはプレイヤーとしておりました。


ウインター予選にいなかったのは近畿で引退したからです。


度々ブログで書いていますが、

私は高校生の時、大好きなバスケットを

最後までやり切りませんでした。


高校バスケはインターハイ予選、近畿大会の結果に大満足して引退しております。


涙がかれるほど泣いた中学の時とは大違いでした。


〝 どうせ優勝はできない 〟と諦めていた自分がいました。


〝 大学推薦組でもないのに、冬まで残ってどうするの 〟という雰囲気に流されました。


相手チームも努力しているわけですから

自分の努力が必ずしも結果につながるとは限りません。


しかし、大好きなバスケットを最後までやり切ることは

自分の意志だけで決めることができます。


自分の意志で決めることができる。


世の中でこれほど簡単なことはありません。


大号泣して引退した中学時代の方が

よっぽど胸を張れると

社会人になってから感じました。




2024年ウインターカップ京都府予選。


たった1人だけ冬まで残った3年生がいました。


怪我で満足にプレイできない3年生がいました。


あと一歩のところで目標に届かなかった3年生がいました。


観客席から声を届けていた3年生がいました。


今は涙で終わったとしても、

どんな結果であったとしても、

最高の高校バスケ人生だったと

いつか気づくと思います。


大好きなバスケットを最後までやり遂げた3年生の皆さんに

心から拍手をおくりたいと思います。


そしてウインター出場を決めた男女6チームに皆さんのご活躍を

心から楽しみにしております。










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